高御倉神社・石工祭り


■高御倉神社の祭り

高御倉神社の祭り【別名・石工神社】は、享保十六年より尾道市西久保の通称《久保八幡宮神社》の境内に設置され、以後今日では毎年5月24日の午前12時より祭りが開催されております。今年で278年の歴史を持った祭りで京都の大歳神社に次ぐ石工神社で職人達の祭りです。
 この尾道には石屋町とよばれる地域があったほどの多くの石工職人が技競い合ったそうで、その時代には尾道の住吉祭祇園祭についで、石工の祭りは尾道の三大祭りとして賑やかで活気に満ち溢れていたようです。
写真撮影2004年5月


■高御倉神社(石工神社)の由来

そもそも高御倉神社の由来ともうしますと石造りの連(いしづくりのむらじ)の子孫が大和から山城、摂津、和泉の各地にひろがり、石工(いしく)を営んでいました。
 近畿地方の各地に分布した石造りの連はやがて瀬戸内海の要所で交通の便利さや、石材の豊富なことから、この尾道に住み着いて石工を営むものが増えてきました。この地の石造品の有名なものは、弘安元年(1272年)浄土寺の納経塔をはじめ、鎌倉時代からの南北朝の頃の絶妙な作品を残しています。戦国時代から江戸時代になりましても当地の石工業は益々盛況してまいりました。尾道の石造品は船便により西は九州平戸、東は北陸・東北・北海道まで運ばれ今日でも「ここに尾道の石工の名がある」と驚くことが度々です。
 このように尾道石工業の繁昌する江戸時代の中期、攝津大阪の石工で福島村雲(そんうん)・藤原徳栄(とくひで)という石工が移って来てこの尾道に石工業の繁昌に貢献してきた石工の祖先即ち『石作ノ大連ノ公・建真利根命』を祭る神社を設立するよう発議し、享保十六年(1731年)二月の吉日を選んで現在の尾道市西久保の亀山八幡宮境内の浄城に、石工の神を勧請して今日に至ります。